CHIPPEWA

instagram
Archive Collection
Archive Collection
1901 Collection
1901 Collection
Men's Collection
Men's Collection
Lady's Collection
Lady's Collection

OUTDOOR & SPORTSMAN SHOES...
BOOTS FOR EVERY PURPOSE

"ブランドとは購入するものではなく、
名声をもたらすものである"

"オリジナル・チペワ"のメーカーであるチペワシューマニュファクチュアリングカンパニーは1901年、ウィスコンシン州のチペワフォールズにて創業しました。当時、生産されていたすべての製品はウィスコンシン州北部にある伐採場に供給されていました。そこで働くランバーマンの足を護るべく、どんな過酷な環境でも耐えられる仕様で作られています。彼らは木材を切り出し、丸太を運ぶために何か月も家を離れることがあるラギッドな男たちです。ランバーマンが生きる「ティンバーカントリー」では、いかなる耐久テストもクリアした最高品質のブーツが求められていました。この環境下で信頼を得たオリジナルチペワブーツは、瞬く間にアメリカ全土へと広がっていったのです。

A New Retrospect of the
American Endeavor

アメリカンエンデバーへの新しい回顧

アメリカ生粋のブランドであるチペワは、常に国民とともにアメリカの歴史や文化、そしてライフスタイルを足元から築き上げてきました。それは本物へのこだわりや挑戦し続ける者のスピリット。まさしく、現代における"アメリカンエンデバー"そのものなのです。

A New Retrospect of the
American Endeavor

アメリカンエンデバーへの新しい回顧

20世紀初頭のアメリカは、何人からも侵されない個人の権利と自由な思想が尊重され、また一攫千金のビジネスチャンスであるという気運に満ち溢れていました。そして、その潮流が世界に影響を与え、変革へと導いていました。この独立精神を象徴するものは"アメリカンドリーム"として語り継がれています。すべてのアメリカ人が、分け隔てなく倫理的に働ける環境下で、自己の能力を発揮し、目標を達成できる…自由に対するワールドワイドな観念。この大いなる希望こそがアメリカの理想や文化、プロダクトとともに世界を魅了していきました。

チペワシューマニュファクチュアリングカンパニーには、アメリカが大切にする高い志を継承する創意工夫と自由な気風が脈々と流れています。

当社のブランドフィロソフィーは、この国を形づくってきた歴史的、政治的、文化的な出来事をバックグラウンドとし、現代的な考え方に基づいています。それは古き良き時代を再認識し、現代のアメリカ人のDNAにも受け継がれており、事を成し遂げるために努力を惜しまない不屈の姿勢、すなわち"アメリカンエンデバー"を体現することです。

アメリカ生粋のブランドであるチペワは、常に国民とともにアメリカの歴史や文化、そしてライフスタイルを足元から築き上げてきました。それは本物へのこだわりや挑戦し続ける者のスピリット。まさしく、現代における"アメリカンエンデバー"そのものなのです。

The Birth of 20th Century

1901年の誕生

1901年、ジョン・モルガンがUSスチールを設立したのと同じ年、チペワシューマニュファクチュアリングカンパニーはJ.B.ピォトロゥスキーとジョン・アンドレイスキーによってウィスコンシン州のチペワフォールズに誕生しました。

The Birth of 20th Century

1901年の誕生

20世紀初頭の10年間(1900-1909)はアメリカ史において素晴らしい期間であり、現代社会の夜明けでもありました。この勤勉な世代はフォードモーターカンパニーを生み出し、ヒーローであり本物のアウトドア志向であったセオドア・ルーズベルトを第26代合衆国大統領に選出。全米で初めて野球のワールドシリーズが開催され、ライト兄弟がキティホークの砂丘で最初の飛行に成功したのもこの時代でした。

1901年、ジョン・モルガン(John P. Morgan)がUSスチールを設立したのと同じ年、チペワシューマニュファクチュアリングカンパニーはJ.B.ピォトロゥスキー(J.B. Piotrowski)とジョン・アンドレィスキー(John Andrejski)によってウィスコンシン州のチペワフォールズに誕生しました。チペワという名前は、ミネソタ州、ミシガン州、ウィスコンシン州周辺に居住するネイティブアメリカンの部族に由来しています。創業当初は、わずか7人の従業員で小規模に運営されていました。会社発足後まもなく、周辺地域の材木伐採業が盛んになり、

ラギッドブーツの需要が増えたことを受け、会社はチペワフォールズのダウンタウンにあるリバーストリートの5階建て施設に場所を移します。これをきっかけに従業員300人以上を雇用するまでに急成長を遂げました。

1914年、チペワは"Original"の商標を取得しました。この商標は、"オリジナル・チペワ"を創作するために社名と併せて表記されました。このロゴは、ディーラーと消費者にチペワ製品が"オリジナル"のロガーブーツであることを証明し、他のブーツメーカーが作った粗悪なコピー商品からディーラーと消費者を守るためのものでした。

The“Great War”

第一次世界大戦

ヨーロッパの同盟国(the Central Powers of Europe)が、イギリス、フランス、ロシアからなる連合国に宣戦布告するとチペワのハイクオリティーなフィールドブーツに対する需要が急激に高まりました。

“Dirty Thirties”

大恐慌時代

右:高名なアンクル・サムの募兵ポスター。 作者のジェームズ・モンゴメリー・フラッグの名を知らずともこの作品を知る人は多い。1917年に描かれたこの作品は第一次世界大戦と第二次世界大戦の際に使用された。

左:ジェームズ・モンゴメリー・フラッグが手掛けた別の作品ではチペワのロングブーツを履く兵士の姿が描かれている。本文には「戦場で先陣を切り、常に忠誠を誓う。アメリカ海兵隊へ来たれ!」と書かれている。

“Dirty Thirties”

大恐慌時代

1929年のウォール街大暴落がきっかけとなり、10年にも渡り西側の先進諸国に影響を与えた世界大恐慌に陥りました。1930年代半ばの景気停滞をさらに深刻なものにしたのは、アメリカ中西部、特にテキサスのプレーリーランド、オクラホマ、カンザスの自然環境や農業に甚大な被害をもたらした猛烈な砂嵐、ダストボウルが断続的に発生したことでした。何百万エーカーという農地にダメージを与え、何十万もの人々が家を離れ、仕事とより良い経済環境を求めてアメリカ西部へと移住せざるを得ませんでした。その打開策として、アメリカ合衆国大統領であったフランクリン・ルーズベルトのリーダーシップの下、ニューディールと呼ばれる一連の経済復興政策が実施されました。この政策は公園、ハイウェイ、橋の整備を担う市民保全部隊(CCC/Civilian Conservation Corps)、公共事業促進局(WPA/Work Progress Administration)などに代表されます。これら失業対策プログラムは、資金提供やコンサート、演劇、または大規模なアートプロジェクトのサポートする

一方で、アメリカ国内の何十万もの雇用を創出しました。足首とひざの部分にバックル付きのレザーベルトを装備した、オールレザーのロングストーブパイプ(煙突形)ブーツ。石炭を扱うコールマンと蒸気機関車のエンジニアたちは連続して燃料をくべなければならず、ボイラーの高温の燃えカスから身を守るために、堅牢なロングシャフトのワークブーツが必要不可欠でした。その彼らが重宝したことが、"エンジニアブーツ"という名の由来となっています。

Second World War

第二次世界大戦

第二次世界大戦中、アメリカ陸軍第10山岳師団は世界中の未開の地や最も過酷な天候条件で戦うために訓練された、米軍初の山岳舞台として結成されました。第10山岳師団は酷使に耐え得る丈夫な寒冷地対応のフットウェアやスキーブーツを開発するにあたって、チペワが蓄積してきたその分野の専門的なノウハウを頼りにしました。

Second World War

第二次世界大戦

1939年までに、世界を取り巻く政治的緊張が再び急激に高まり、世界の大多数の国を巻き込んだ国際紛争が勃発。後に「日独伊枢軸国」と「連合国」という2つの敵対する軍事同盟が生まれました。1941年12月7日、日本が真珠湾のアメリカ海軍太平洋艦隊を奇襲したことがきっかけとなり、アメリカ合衆国は太平洋戦区とヨーロッパ戦区の2つの前線で戦いに参加していったのでした。

第二次世界大戦中、アメリカ陸軍第10山岳師団は世界中の未開の地や最も過酷な天候条件で戦うために訓練された、米軍初の山岳部隊として結成されました。第10山岳師団は酷使に耐え得る丈夫な寒冷地対応のフットウェアやスキーブーツを開発するにあたって、チペワが蓄積してきたその分野の専門的なノウハウを頼りにしました。後に、チペワの伝説的な寒冷地ブーツ"アークティック"コレクションを立ち上げた時、保管されていた当時の研究開発の資料が活かされました。

チペワ・アークティックブーツの名を世に広めてくれた兵士たちに敬意を表し、今日でもチペワ・アークティックブーツは、旧来のスキービンディング用の溝をアウトソールのヒール部分に残しています。チペワの極寒地対応ブーツ、マイナス40&アークティック50ブーツは、"これまで作られた中で最も優れ、暖かく、保温性に秀でたグッドイヤーウェルト製法のブーツ"と言われています。

A Period of Prosperity

繁栄の時代

新たに経済的自由を手にしたことで、人々はスキーや登山、スポーツフィッシングのようなアウトドアレクリエーションやスポーツアクティビティを謳歌するようになりました。チペワは、近代アウトドアスポーツ市場への参入でも成功を納め、一般用や特殊なワークブーツだけでなく、スポーツやレジャー用のラインも発表しました。

A Period of Prosperity

繁栄の時代

第二次世界大戦後から1960年代末にかけた期間、アメリカの生産力が黄金期となりました。戦時公債の2000億ドルが満期になり、復員軍人援護法のおかげで復員兵たちは資金援助を受けて大学で学び、米国史上もっとも教育レベルの高い労働力層となりました。そして労働の需要が増大するとともに、低所得の農業従事者が、より賃金条件の有利な街や都市部に移動し、その結果として中流階級の人口も増加したのでした。

新たに経済的自由を手にしたことで、人々はスキーや登山、スポーツフィッシングのようなアウトドアレクリエーションやスポーツアクティビティを謳歌するようになりました。それまでは富裕層にのみ浸透していたこれらのアウトドアアクティビティは、この期を境に経済的に余裕が出来た多くのミドルクラスのアメリカ人たちにも開かれるようになったのです。チペワは、近代アウトドアスポーツ市場への参入でも成功を納め、一般用や特殊なワークブーツだけでなく、スポーツやレジャー用のラインも

発表しました。しかしそれだけでなく、チペワは1950年初頭までに、アウトドアブーツの革新的な技術におけるリーダーとなっていました。今でこそラギッドなブーツの常識である、イタリアのヴィブラム社のアウトソール。これをアメリカ製のブーツに採用したパイオニアこそが、チペワでした。その衝撃的な出会いから今日に至るまで、チペワは世界中のどのラギッドなアウトドアブーツカンパニーよりも多く、ヴィブラム社製ソールをブーツに採用しています。

To Serve and Protect

任務を果たすために、そして守るために

アメリカとNATO同盟国をはじめとする西欧諸国。ソビエト連邦および、その衛星国と同盟を結ぶ共産主義国。第二次世界大戦後から長らく、その両陣営の間で政治的、軍事的緊張状態が続きました。良くも悪くも、世界史上で最も巨大な軍事産業を築き上げた"冷戦"時代。そのさなかであった1950年代、60年代を通してチペワはアメリカ軍とともに、寒冷気候向けの研究開発プロジェクトを続けました。アメリカ軍のために開発した新しい保温素材を駆使し、最初の極寒地対応ブーツが生まれました。そしてその研究の成果として、アメリカ空軍の戦略航空軍団(SAC/Strategic Air Command)やU-2スパイ用偵察機に搭乗したCIAのパイロットたちが必要とする、高高度飛行用ブーツが採用されることとなったのです。CIAのパイロットであったフランシス・ゲーリー・パワーズが1960年5月1日、ソ連領空上偵察任務中に撃墜されるという歴史的事件がありました。その数日前、フライトスーツに身を包み、チペワSAC600フライトブーツを履いてU-2機と共に撮影された彼の写真が残っています。

To Serve and Protect

任務を果たすために、そして守るために

アメリカ空軍SACのオフィシャル・フライトブーツ"SAC600"は、極寒地用フットウェアにおける革命的技術の粋を集めた結晶といえるでしょう。同モデルはフュートロンと呼ばれる特殊なスパンナイロンフェルトと保温性に優れたキルトライニングを使った最初の極寒地対応ブーツでした。このスパンナイロンには、レザーがもつ自然な通気を可能にしながらも、体温を逃さない数百万もの極めて小さな空気の穴があります。このブーツのためにチペワはさらに、着脱を容易にする中央にファスナーを配置したフロントジップシステムを取り入れました。この方式だと一度シューレースを通して足のサイズに合わせれば、後はファスナーの開閉だけで素早く履けるようになるというものです。このシステムは今日でも警察や消防、ミリタリーユースに使われており、チペワのエマージェンシープロテクティブサービス(非常時救助に携わる人用)ブーツに採用されています。

A Celebration of Independence

革新的なアウトドアブーツメーカーへ

アメリカ合衆国が独立宣言の採択から200年を数えた1976年、チペワもまた創業から75年を迎え、ともにアニバーサリーイヤーを祝いました。革新的なアウトドアブーツの技術をもつリーダーとして頭角を現したのが、この時期でした。

A Celebration of Independence

革新的なアウトドアブーツメーカーへ

アメリカ合衆国が独立宣言の採択から200年を数えた1976年、チペワもまた創業から75年を迎え、ともにアニバーサーリーイヤーを祝いました。チペワの顧客へのオープンレター(公開書簡)の中で、社長T.マクドナルドは、「我々の75年に渡るビジネスを記念し、人々が最高級アウトドアフットウェアに求める全ての特徴を併せ持ち、他に類が無いと感じられるほどの素晴らしい"ジュビリー(お祝い)ブーツ"を作り上げました」と、述べています。

ラギッドなアウトドア専用ブーツとしても、最高のパフォーマンスとクオリティーを本格的に実現したチペワ。革新的なアウトドアブーツの技術をもつリーダーとして頭角を現したのが、この時期でした。アウトドアフィールドにおいて、蛇からの攻撃に対し最大限のプロテクションを必要とした、ハンターやアウトドアマンのために開発された"チペワ・スネークブーツ"は、その最たる例と言えます。

“KUSH N KOLLAR”

クッシュンカラー(クッシュ・ン・カラー)

常にユーザー視点を大事にした研究開発を通して、チペワは1970年12月8日、初めてブーツの足首部分に施されたクッションパッドを開発し、アメリカ合衆国特許を取得しました。このクッシュンカラーは、長時間の歩行でも擦れたり締めつけられたりすることが大幅に軽減され、それによりブーツの履き心地が改善。アキレス腱にかかる負担も軽減されました。今日市場で見られる、全てのパッド仕様のブーツは、チペワによって創りだされたクッシュンカラーのアイデアが採用されています。

Crafted in U.S.A.
with the Finest Global Materials.

熟練した職人による一貫した生産

1980年、チペワはChippewa Country USA – "Hand Crafted by people who care(手作りにこだわった職人によって作られるブーツ)"というマーケティングキャンペーンを展開しました。これは、チペワで作られる良質のフットウェアにプライドと責任を持ち、そんなチペワのために働いている頑固な職人たちのこだわりと技術にフォーカスしたキャンペーンでした。ハイクオリティな材料のみを使い、アメリカ国内の工場で手作業にて生産し続ける事で、やがてこのキャンペーンはチペワのフィロソフィーへと発展していきました。チペワブランドを築いてきた人々に敬意を表し、今この瞬間も、アメリカの工場で生産されているチペワブーツには、その証として"Hand Crafted in USA"と記されたラベルが付けられています。

Made in the U.S.A.

メイドインUSAへのこだわり

メイドインUSAを貫くこと-アメリカ国内に環境にも配慮した工場を持ち、 職人による靴作りの技術を次世代へと受け継いでいく。かつてのアメリカ人がそうであったように、チペワにとって実直なモノ作りを続けていくことは、すなわちアメリカン・オーセンティックのこだわりを継承していくことと同じなのです。それこそが、チペワが本物であり続ける理由なのです。

Made in the U.S.A.

メイドインUSAへのこだわり

今日の通信、輸送、テクノロジーの進歩は世界をより身近にし、グローバリゼーションという考え方を生み出しました。グローバリゼーションは、貿易、投資、そしてテクノロジーの普及により、一国家の経済が国際経済へ融合されてきたことを示しています。他国との貿易やアウトソーシング(外部委託)と国外への生産拠点移動による影響が大きく、それが世界を変えています。

今日の製靴業界は恐らく、グローバリゼーションの結果を表すもっともふさわしい例えと言えます。この影響にはプラス面もマイナス面もあります。第二次世界大戦後、アメリカ国内での人口増加と経済発展はアメリカの製靴業界を世界一へと押し上げました。しかし、アメリカの経済成長と共に生産コストも増加したため、アメリカ国内に生産拠点があった製靴メーカーは新しく、アジアや南アメリカ、インドへ安価な労働力を求めるようになりました。そして徐々に、アメリカ国内で生産していたメーカーは、そうした安く海外で大量生産された商品の影響を受け淘汰されていったのです。今日、アメリカ国内で販売されるフットウェアの97%は海外で生産されたものです。

あり余る海外の労働力を上手く利用したことで、アメリカのフットウェアブランドは急成長を遂げることが出来ました。しかし同時に、ファッション業界においてアメリカの文化的アイデンティティも失われていきました。かつてアメリカを創造した安く象徴的なブランドは、世界中にたやすく消費者を獲得できる海外製、大量生産品を作る多国籍企業へと変わっていきました。彼らはもはやアメリカのイデオロギーや責任を表す国内ブランドではなく、グローバルエコノミーの景気を盛り上げるグローバルブランドにすぎません。
グローバリゼーションがわたしたちの生活をあらゆる面で豊かにした一方で、わたしたちの国の生産拠点に大きく打撃を残すこととなりました。製造業の雇用はこの国の経済の安定に不可欠ですが、この40年の間に賃金の安い海外の労働市場へと移行し、何百万という製造業の仕事が失われています。アメリカ国内のフットウェアとアパレル業界での雇用は長年の間に減少し続けていますが、それでも尚、依然として80万人以上を雇用しています。

Made in the U.S.A.

メイドインUSAへのこだわり

現在、極めて重要なのは、アメリカ国内で作られた製品を普及させ、その品質の素晴らしさを訴求することです。文化的に本物であり、他に類を見ない製品を強く望む声もあります。これは既存のラグジュアリーブランドを見ても明らかで、"Made in Italy"は一流でありクオリティーが高いことを想像させてくれます。現在、世界中の消費者にとって"Made in USA"は、クラフトマンシップへのプライド、耐久性、クオリティーを連想させるものになっています。
世界的に経済が不安定な傾向にある昨今、一流のU.S.メイド

のライフスタイルブランドとしてチペワをさらに躍進させるために、アメリカ国内にある製造工場を活用しています。

メイド・インU.S.A.を貫くこと――アメリカ国内に環境にも配慮した工場を持ち、職人による靴作りの技術を次世代へと受け継いでいく。かつてのアメリカ人がそうであったように、チペワにとって実直なモノ作りを続けていくことは、すなわちアメリカン・オーセンティックのこだわりを継承していくことと同じなのです。それこそが、チペワが本物であり続ける理由なのです。

Brand History

1901年

まさに 20世紀がスタートした年、J.B.ピォトロゥスキーとジョン・アンドレィスキーによってウィスコンシン州チペワフォールズでチペワシューマニュファクチュアリング社をスタート。社名はミネソタ州・ミシガン州・ウィスコンシン州に居住していたネイティブアメリカンの部族の一つチペワ族に由来している。

当初ビジネスはとても小さく、創業者の2人とたった7人の職人によって運営された。周辺では製紙業が盛んで、地元の木材を切り出す職人向けにラギッ ドブーツが作られていた。次第にその規模は大きくなり、5階建の社屋をチペワフォールズの中心街に構えるまでになり、従業員も300人となった。1901年からの10年間はセオドア・ルーズベルトが第26代大統領に就任、ライト兄弟が初飛行に成功、T型フォードが開発されるなど歴史的な出来事が多い。

1914年

チペワ社は“ORIGINAL”CHIPPEWAの文字を商標登録し、チペワのブーツがまさに"オリジナル"ブーツであり、他のメーカーのイミテーションブーツとは違うと証明すべく、チペワのロゴの前に“ORIGINAL”のロゴを据える事とした。
1914年から始まった第一次世界大戦中、チペワのブーツは同盟国や USミリタリーに供給された。

1929年

この年に起きたウォール街大暴落後、アメリカの経済は悪化の一途をたどる。その頃大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトが行ったニューディール政策により公共事業が拡大し、それらの事業に従事する労働者に向けたブーツとしてロガーブーツが1935年、17インチのエンジニアブーツが1937年に、そして6インチサービスブーツが1939年に開発された。

1939年

第二次世界大戦中も米国陸軍山岳部隊向けの極寒地向けスキー対応ブーツを開発。この当時の技術は現在も作られているチペワ社のスキー対応ブーツに活かされている。

Brand History

1950年

50年代初頭、チペワ社はアメリカ国内で初めてイタリアからヴィブラムソールを輸入し自社のブーツに使用。1957年に誕生した名作のオリジナル・マウンテニアブーツにも採用された。

第二次世界大戦後から1960年代はアメリカの国内生産の黄金期で多くの国民が豊かになり、アウトドア・アクティビティを楽しむようになった。この頃、チペワ社は革新的なアウトドアブーツの開発においてリーダー的存在となり、1958年には5インチ・レーストゥトウブーツが作られた。 また、この10年間以降もチペワ社は継続してUSミリタリーと極寒地用ブーツの開発を続けた。

1960年

この年の5月1日にソビエト軍によって撃墜されたCIAパイロットも SAC600ブーツを着用しており、撃墜前日にチペワブーツを履く彼の写真が残されている。

1969年

またフィールドブーツの開発も継続しており、1969年には足首部分にクッションパッドを施したクッシュンカラーブーツが開発され、翌年の1970年12月8日に特許を取得した。

1975年

合衆国は独立戦争開始から200年を迎えた。

1976年

翌年チペワ社は創業から75年を迎え、記念ブーツとして極寒地向けブーツ#5468 Minus-40ブーツを開発。そのブーツはアメリカン・シューズ・デザイナー賞を受賞した。

1980年

チペワ社は新たにマーケティングキャンペーンを行った。それは"手作りにこだわった職人によって作られるブーツ"という事を伝えるキャンペーンで、こだわりを持った職人たちによって、プレミアムな材料を使用し、アメリカ国内において手作業で作られるブーツである事を強調したものだった。手作業で作られるアメリカ製ブーツという事への誇りは強く、現在でも"Hand Craft in USA"のラベルにはチペワブランドを作り上げている職人の強いプライドが込められている。

1984年

チペワ社は1879年に創設したアメリカ国内最大で最古のブーツメーカー、ジャスティンブランド社(テキサス州)のグループとなった。

現在

ジャスティンブランド社はウォーレン・バフェットが主導するバークシャー・ハサウェイ社の傘下に入り、その中でチペワ社は運営され、今でもモノ作りにこだわった最高のブーツを作り続けている。